2016/03/28

いいかげんにしたほうが良くないですか

つぶやきのクリーム The cream of the notes (講談社文庫)
森 博嗣
講談社 (2012-09-14)
売り上げランキング: 157,544
つぼやきのテリーヌ The cream of the notes 2 (講談社文庫)
森 博嗣
講談社 (2013-12-13)
売り上げランキング: 200,859
つぼねのカトリーヌ The cream of the notes 3 (講談社文庫)
森 博嗣
講談社 (2014-12-12)
売り上げランキング: 222,370
ツンドラモンスーン The cream of the notes 4 (講談社文庫)
森 博嗣
講談社 (2015-12-15)
売り上げランキング: 118,323

猛烈に読んでいます。
大学生のころから、読んだ本のよいところをノートに抜き書きする癖があって、こうしないと落ち着かないのです。誰もが無駄っていうんだろうなあっていう作業。でも最近からノートを「紳士なノート」のB5版にしたので、書き心地の良さにうっとりしながら時間を費やしています。

森さんの本も前にもいったように100個おもいつきをあげるシリーズはでているものはすべて読んでいるので(現時点であと『素直に生きる100の講義』のみ途中)書き写したいところがわんさかあり、手が痛いです。書き写してないで行動するのが正しいのですが……とにかく書き写しただけで満足する形で終わらないようにするぞ。

(といいつつ最近のデザイン仕事で誘惑に負け続け「こつこつ努力」を実践できなかったのですが……前の記事で「勝率が上がっている」と書いたのもつかの間、負けました。許してにゃん♡←クリームシリーズの1,2巻の解説がももちさんだったため)(この場合の許してにゃん♡は自分に向けての謝罪なのだけど、自分に謝ると確かに「謝るくらいならやれよ!」て思いますね)

書き写すまえに、自分に耳が痛い話題のときはすでにそれが分かるので、「げふっ…」と血を吐くようなメンタルになります。人がいったことコピィしても何にもなんないよ、とか(笑)

・根に持たないで意見はすぐその人に伝える。そして帳消しにして普通にふるまう。嫌われていても気にしない。
・嫌な人でも誰でも人の言葉に耳を傾ける。好きになる必要はない。反発しても拒否してもいいから、意見は聞いておく。あとで気づくことがあるかもしれないから。

などの箇所は普段接する「あまり好きでないひと」を思い浮かべながら読むと歯ぎしりをしたくなる思い。
案外、嫌な人の隣にいるだけではなくて、その人に「どの辺がどう嫌か」を面と向かって伝えることもめんどくさいし、辛いものと感じているので、それができる人は本当に凄いなと思うのだよねえ。
あと「指摘することで嫌われたくない」という意識がある。自己保身は感情から来るものなので、ここを切り分けることこそ「感情」と「行動」を分けることの難しさだなあと。たまに逆上することがあるとき、「今がその観察の練習になるのでは!」と意気込むのですけど、「観察する側の自分」はどうしても「イライラする私」に邪魔されてしまいます。
むー。どうしたものか。

森さんが観察からぼんぼん思いつきをうみだしてる姿をみると、素直に何でも観察してみて自分に生かすのってとっても楽しそうなんですよね。プライドに邪魔されるイライラ、捨てたい、捨てたいのよー!

それと何度かtwitter、facebook、その他無料で利用できるポイントカードなど、無料で利用できるものはその裏にメリットがあるからタダなのであって、けっしてお得ではないと警鐘を鳴らしているのがガツンと来ました。大のtwitter好きなのですが、時々言語表現の狭さとか、トピックに対するコメントのパターン化とか、たたくにふさわしい発言をみつけてはリンチにもってくかんじとかが「うーん」と思うことがあったので。
森さんはもっと高次な観点から無料SNSの危ないところをおっしゃってますけれど、そこはまったく思いつかなかった。なんたる愚鈍!日常に潜む支配をしっかり認識しておきたいです。
というわけで、なんとなくツイッタから離れるようにしています。

あとkpopアイドルを好きになったりスポーツを見たりするけれど、応援のしかたがそれぞれ私の方法はとてもマイナーだなと思っていたのですが、それに関しての指摘もありました。すべての根源は感情が最優先される報道や風潮なのだな。「ファンにはサービスすべき」「情に訴えるものは素晴らしい」「感動を求めて当たり前」という考え方、これも普段気づかない「支配」の枠組みなのかも。


そうそう、森さんが休刊になってしまった雑誌に連載していたというエッセイがwebで公開されていることをキャッチしました!

 やれば良いのだ。やるだけなのだ。ほかに道はない。今直面していること、やりたくないこと、それをやれば良い。やる気なんか出す必要はない。いやいややれば良い。泣く泣くやれば良い。それだけのこと。やりさえすれば、それであっさり解決し、だんだんやる気も出てくる。
【連載】森博嗣 道なき未知 〈第3回〉万能の秘訣を教えよう

いやいや泣く泣くが嫌すぎてやれないという感情の手強さに参っていますが、また対怠けたい自分の勝率あげていきたい。切実に。

2016/03/21

「神様が殺してくれる」

神様が殺してくれる (幻冬舎文庫)
森 博嗣
幻冬舎 (2016-04-12)
売り上げランキング: 5,702
ミステリーは苦手。だけど読んだあととても清々しい気持ちになれたので嫌いじゃなかったんだなあと思えるお話。

 リオンという絶世の美人はジェンダーの垣根を越えた美の象徴であるのだなあと。
主人公が、相手を男か女かという観点を度外視して「愛しているのか?」「惹かれているのか?」ということのみを自問するのがよかったです。

心地よいと感じた理由は、トリックというか物語の進み方が読み手の思い込みをうまく利用していて そのことが、私が普段とらわれている枠の存在を教えてくれているような気がしたからかな。 

主人公レナルドとミシェルのカップルを想像するだけでどきどきします。
切なさをたくさん抱えているのに、それを嘆くわけでもなく自然と寄り添って
でも言わないだけで抱えているものの重さはすごいんだろうなあ

最後まで読み終えてはじめて、「おお、この2人のシーンが一番ドラマティックでは…」と気づくの、楽しかった!
リオン自体は象徴だからか、「美」以外に目立ってこないのもおもしろいですね
小説の中の美人ってだいたい魔法とか使える無敵キャラじゃないですか……(笑)

というかリオンの存在のなかに萩尾望都的な美の追究が見られてとてもほくほくしています。
真の美しさの前では性差なんて飾りなのです、ということか。
ああ、とっても自由だなあ。

でもミステリの殺人がないと始まらない感じがやはり苦手です。
殺したいポイントが今回もよくわからなかったし
でも森さんが他の本でいっていたけど、なぜ殺したか…!ではなくて
犯人を突き止めるまでの論理的なプロセスに楽しみを見いだすのもミステリーの読み方のひとつなんでしょうね

 久々に本を一気読みしてしまった!

2016/03/04

ねこ


飼っています。
保護ネコの猫カフェやってるとこから6ヵ月の女の子をもらってきて、3ヵ月くらい経ちました

完全にネコ派なのでそれはもう愛くるしくて辛いです。おなかに手をいれたらなでてくれと言わんばかりに足をおっぴろげるところとか、必ずそばで寝たがるところとか、すやすや寝てるところとか
ふわふわ柔らかい天使。

最初は猫好きだけど飼うのは乗り気じゃなかったんですよね。自分の勝手で動物の命をあずかることがいいこととは思えなくて。
同居人がどうしても!というので飼い始めましたが、この葛藤はずっと続くのだろうなと思います。

それにしてもまったく違う生物なので、あっちの要求や、備わっている本能からくる反応がいちいちこちらの要望とかけ離れていて、「おまえなんかかわいくもなんともないやい!」という気持ちに毎日1回はなっていると思う。

使ってるペンに興味をしめしてわざわざ触ってくるし、乗るなといっても机にのるし、コップは落とすしソファをひっかくし…

ひとことでいうと、「思うとおりにならない」なんですよね。そこでいらいらしてるのは完璧に自分が理想を猫に押しつけているだけで、できない猫は猫のまま生きているだけ。

そこでハッと気づいたのが、これって将来子ども生まれたときのシミュレーションっぽい?ということ。

いたずらをしたときにもちろん怒鳴ったり、机にのってたら猫を押しておろしたりとかするんだけど、相手があまりにも弱者だと、つい適切な処罰以上のことをしてしまいそうになるときとか。
自分でもびっくりします。「わからずやのこいつをもっと懲らしめたい」という加虐心のような気持ちが芽生えようとする。
この気持ちをエスカレートさせないように、感情と行動を切り分けなきゃ!とあわてて落ち着くようにしていますが、こどもができたときも起こりうることなんだろうなあと。感情を野放しにしないで、感情がわく前提で冷静に対応しておきたい。

あとは撫で繰り回したいときに猫がその気じゃなくて逃げようとするとき。うっかりがっちりホールドしちゃうときもあるのですが、愛情の押しつけってのも虐待みたいなものだなあと考えて、パッと離すようにしています。

すごい動物好きのひとは「ペットのほうが上」みたいな態度をふつうにとれるとおもうけど、私はいわゆる動物愛好家ではないので、こういうことに気づけてほんとよかったです。
「弱い存在」という意味でペットと子どもは似てると思う。弱くともきちんと相手を尊重する、いい修行の場になっています。

私が乗り気じゃないのに膝に乗ってくるのはどうなのと思うけど(笑)、まあ猫ちゃんには「住んでいただいてる」くらいの方がいいのかもね。


それにしてもかわいい。

「常識にとらわれない100の講義」

常識にとらわれない100の講義 (だいわ文庫)
森 博嗣
大和書房
売り上げランキング: 97,978
印象に残ったことばのだいたいの内容と、それにかんして思ったこと。

文系はデジタルだと感じる。僕の本の読み方はとてもアナログで、記憶もアナログなので本をかくときに言葉というデジタルに変換する。
よくどんな場面だったかはおぼえてなくても「ある一言」だけをしっかり覚えてる人がいるけど、ああいうのをデジタルだなーと思う

「どんな感じだったか」でさえ残ってない読書がよくあって、読んだことだけ覚えてるけどほぼ覚えていない、というのは果たして自分にとってよいことなのか…?と考える。
でも良い・悪いのための読書じゃないかもしれないし。
難しい本なんて読んだ瞬間からなんのことだったか忘れていくのは、文字をただ追っているだけなんだよね。アナログな記憶として残るように読むには。


自分が好きな考えじゃなくても正しいと思ったらそう書くし、自分のことを棚にあげてそうすべきだと思ったらそう書く。

客観的に見るというのがぜんぜんできていない…と身につまされているのだけど、「自分でできているわけじゃないけど、正しいと思う行い」をふつうに書くということも客観のひとつなんだ!ということに気づいた。「自分を棚に上げる」って客観的に見るのと同じくらい難しいかもしれない。


自分の嫌いな、苦手なものを自分でつくってみることで思い込みから自由になれる。みんな自分の好きじゃないことを「理解できない」のではなくそもそも「理解しようとしていない」のである。

正直いってまっっったくできない。嫌だなあと思う人に対して必ずぶち切れで対応してしまう、言い聞かせてはいるけど実践となると全敗しています。行動と感情を切り離す練習として、苦手なものを「理解しようとしてみる」ことがいいのかも。
なぜいらいらするのかさえもサラッと分析できるようになっちゃおう。


2016/03/02

今日も声が聞こえる

森博嗣さんのエッセイを爆読み中。「作家の収入」とか「科学的とは~」とかを経て、「つぶやきのクリーム」シリーズは3冊ほど読み、「100の講義」シリーズをhontoでまとめ買いしてそちらにうつっています。
なんどもなんども出てくるトピックほど繰り返しすり込まれていくからよく覚えている。

その中で「努力とかやる気とかそんなこといってるひまあったらとにかくやれ」みたいなのがあって、かなり耳が痛いので胸に何度もふかーく刻まれました。(ちなみに森博嗣さんは書いたことをまるっと覚えず抽象化してなんとなく記憶することを大変よしとする方です)
ちょうど忙しくなっているところで、普段の仕事+うちに持ち帰ってやるものがあるのですが
私は
「仕事をうちでやる」
というのが最悪にできなかったんです。

いつまでもだらだら怠けて最後に慌てるタイプ。フライヤーとかもそう。辛い。苦しい。みたいなことをちょっと前に書いてましたね!

破れる殻だろうか~デザインという苦痛~

今読み返してみるとなんかすごくかわいそうな奴だなと思います。そのときはすごく必死にのたうちまわりながら書いていたと思うんだけど、客観的にみるとちょっとうざいですね(笑)

でも森博嗣さんの言葉をよむたび
「好きなことやりましょう」
「時間が必要?つくりましょう」
「ないならなぜないのかを考えましょう。あのときやるべきことをやらずに怠けていましたね?」
「金もないなら何かを我慢して捻出することは必ず可能です」
「つまり自由に好きなことができないおまえはその努力をしていない」

という、圧倒的な勝利の方程式がでてくるわけです。
森さん自身が「子どものときは面倒くさがりでやりたくなさすぎることがあったので、仕方なく前もって準備だけするようになったら、しぶしぶでもやるようになった」というエピソードも添えて。

しぶしぶでもやる、やる気がでるのを待たずにやる、とにかくやれ、そしたらできてる

という地道な実践の積み重ねでしか、なりたい自分には近づけないよ、と。

こういうことは何万回もあらゆる本でみてきたんだけど、森さんのエッセイ群でようやく、ほんとうにようやく、腰をちょいあげるくらいまでこぎつけることができまました。

たとえば急いでる朝、たまってる食器みて「今すぐに少しやれば少し減る…ぜんぶじゃなくても少しでいいから…」とまるで森先生に見られてるかのように動いてみたり。
もういいや~ 今度やろ~と寝転がった瞬間も「少しやれば…」という声がきこえてくるんです。

まあでもいつも誘惑に完全勝利しているわけではなくて、負けるときもありますけど、勝率があがってきたかんじがします。
結局自分の運命を決めるのは今の自分の行動だけだものなあ

これからも感情に行動が邪魔されないよう、両者をわける訓練を続けていきます。