2015/11/15

マティアスとクッキー食べたい

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)
ケストナー
光文社
売り上げランキング: 114,215
こちらの訳で読みましたよ。ドイツのギムナジウムというと思い浮かべるのは萩尾望都作品なわけですが、1933年に出版されたというこの本を読んでみたら、萩尾先生の描いた雰囲気とだいたい一緒だなあという印象。

「トーマの心臓」なんかを読むと、男同士で好きとか愛してるとか言い過ぎているのでは…と(萩尾さんがBL推しなのもあってw)おろおろしていたのですけど。やはり寮生活で毎日ともに過ごすからか、男の子たちの結びつきは本書でもとても密なものでありました。それは元寮生の「正義さん」と「禁煙さん」もそうで、一度強固に築いた友情はいつまでたっても残るものなのでしょう。禁煙さんが結婚しても正義さんは一緒に住み続けていたとか、なんなんだ?とは思うんですけど。

物語に出てくるのは主に5人。書くのが上手なジョニー、優等生で正義を重んじるマルティン、食いしん坊でボクサー志望のマティアス、チビで臆病なウーリ、そしてなんか賢くて良い奴のゼバスティアン。
クリスマスのパーティ用につくった劇の練習や、近くの学校の生徒との決闘など、毎日を全力でかけぬける感じが生き生きと描かれています。

それにしても嫌な奴が誰一人として出てこない!マティアスなんて、腕っ節が強い大柄なんだからジャイアンになってもいいものの、親友のウーリをしっかり気づかえる優しさを持っていますし。クッキーほしさにお金を借りたあとは、ちゃんと返すし。ジャイアンとの対比がますます……。
マルティンもクラス1優秀なのに、けんかとなれば加勢するし、他の子もガリ勉とかいっていじめるわけではないし。
ここではみんなそれぞれ個性が認められて、誰も優位に立つこともせず清々しい友情がはぐくまれている。なんて素敵なんでしょう。みんなキラキラしていて描写がまぶしいです。

子どももそうなら大人もみないい人。通称「正義さん」のベーク先生は、社会の厳しさを教えながらも子どもたちのことを真剣に考えてくれる、最高な人。そして禁煙車両だった客車を家にしてすんでいる世捨て人の「禁煙さん」は、正義さんとは違うジャンルの最高な人。正しいことは正義さんへ、正しいのかどうかよくわからないことは禁煙さんへ、それぞれ相談するわけです。うらやましい。

正義さんが5人と、下級生を監督する9年生のテオドールに向けて自分が教師になるいきさつを語るシーンはずるいです。本当に先生には一点の曇りもないので、下級生に対していばりちらしているテオドールくんもすっかり先生の気高さに感染してしまう。極めつけはマティアスの「あの先生のためなら、おれ、首くくられてもいいぜ」という一言。
理想の上司欠乏症の現代社会に現れてくれないかな、正義さん……。ずるい。

正義さんの過去のエピソードはケストナー自身の実話なことから、正義さんはおそらくケストナーの思いがめちゃくちゃ詰まっていることだろうと思います。
なにせ出版された年はドイツでナチが政権をとった年。さらにケストナーは著作を焚書されたりしていて、社会に対してずっとあらがっていた人だったそうで。まさに理想の上司から一番遠いところにいる人物に権力を奪われた時代。そのさなかに「素敵な大人たち」を描くのって、もうほとんど祈りに近いです。

ケストナーがすごいのはぜったいに逃げなかったところですね。亡命もしなかったようで、よく殺されなかったわ…。この本の前書きにも「災難にあっても、目をそらさないで。うまくいかないことがあっても、驚かないで。運が悪くても、しょんぼりしないで。元気を出して。打たれ強くならなくちゃ」と勢いよくかかれていて、美しいです。
悪いことがあってもそれを嘆いたって何かが変わるわけではないから、耐えなくてはと。厳しいけれど、一度耐えてみせれば半分勝ったようなもの。子どもたちに送る最高のエールだなあ。


ところでお気に入りの箇所は、失業してちょう貧乏なマルティンのお父さんとお母さんの会話のシーン。

「こんなことを運命が許すとはな。お金がないと、どんなにひどい思いをするのか、まだあんなに小さいのに思い知ることになるんだから。親がこんなに無能で、こんなに貧乏なのを、どうか責めないでほしい」
「馬鹿なこと言わないで」と、妻が言った。「なんでまたそんなふうに考えるの?マルティンはまだ小さいけど、有能であることとお金持ちでることがおなじじゃないことくらい、ちゃんとわかってるわよ」
そ、そうだそうだ!(万年貧乏のわたし)


2015/11/12

かわいい、辛い、かわいい

悪童日記 [DVD]
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アルバトロス (2015-03-04)
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ベストセラーにもなり、ファンが多い原作の映画化。本を読みたいなと思いつつも「ぜったい辛いやつや…」と踏み込めずにいたので、映画から観てみました。

辛いやつやった…

愛に包まれて育った双子が、戦争を機に田舎の祖母宅に疎開させられるお話。父からもらったノートに日記をかき、母との約束で勉強だけは続けながら、過酷な毎日を生き延びる双子が、残酷さに打ち勝つために「訓練」と称してお互いを傷つけ合ったり、自分たちで残酷なことをしてみたり…と救いが見えない映画です。戦争の混乱で正義なんてとうになくなっていて、周りの大人たちも醜さをさらけ出していて。

自分の弱い部分をひたすら殺していくことでしか耐えきれない日常の、なんとも冷たくて厳しいことか……。双子と同じく一瞬も気をゆるめることができません。友達ができたり、親切にしてもらうことがあっても、その人たちだって簡単に殺されてしまう。

教会で働くお姉さん意地悪でしたねー。おそらくナチス支持者だったのかな。あんな風に連れて行かれるユダヤ人の行列をおもしろげに眺める人々も実際にいたのでしょうね。その残酷な光景の中で彼女が食べてるパンがめっちゃおいしそうなのがまたね。そしてお姉さんめちゃくちゃ美人でもうね……!この映画は「かわいい」と「つらい」の葛藤がすさまじいです。

お母さんとの再会シーンは、お母さんって私が気づけなくて「このひと誰やねん…」て思ってしまった(笑) だってあまりにも双子がそっけないから……訓練を重ねた日々の代償として、親への愛情も失ってしまったのがここで分かるんですが、またお母さんも新しい男がいたりして、人って弱い生き物ね…とため息。

お父さんも訪ねてくれるんですが、もはや他人同士でしかないんですよね。お互い警戒しあっているし。実際に殺されたわけではなくても、つながりがなくなってしまえばその人を失ったにも等しいので、戦争のむごさが浮き彫りになります。お母さんに言われたとおり「勉強」はしてるのに。お父さんにもらったノートに日記だって書き続けているのに、約束だけが残って約束した人物とのつながりが消えるという。

最後の訓練は正直そこまでしなくてもいいじゃないかって思うほどですが、彼らが真の意味で大人になるには必要だったのかもしれません。「お互い離ればなれになるのが一番こたえた」と言うシーンもあるくらい、強く結ばれている二人が別れる痛み。とっても重たいです。


主役の双子さんは監督がハンガリー中を調べ回ってみつけた素人さんだそうですが、この美しさのおかげで映画がぎりぎり耐えきれるかな!って感じだったので、本当に良いキャスティングです。一ミリも人を信用していないあの目つき、素晴らしかった。

あと口の悪すぎるおばあちゃんもコロコロしててかわいかった~!たまに娘や孫を思いやる感情が垣間見えてほっこりしました。撮影の合間に双子となかよくやっていたのかなと思うと萌える…

2015/11/05

深く潜ることとそのために必要な胆力

職業としての小説家 (Switch library)
村上春樹
スイッチパブリッシング (2015-09-10)
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毎日規則正しく生活し、決まった時間に決まった枚数だけ書き続ける。ということくらいしか明かしてくれなかった村上さんが、質問に答えまくったりこうして自分のことを公開するようになっている。何十年も謎な部分を保ち続けてきた人がようやく教えてくれることってすごく面白いなーと。大作家というのもあるけど、その語らなかった年月のおかげでこのエッセイのうまみが増してるとおもいます。

村上作品はノルウェイの森と海辺のカフカ2作のみ読んだことがあり、1Q84は序盤で挫折したのでファンじゃないんですけど、この本は読んでて面白かったです。

苦労して切り盛りしていたバーがようやく安定しはじめたころに、神宮球場の外野席で寝そべりながら試合を観ていて、外国人打者が二塁打を打ったときに「あ、小説書けるかも」という感覚が降りてきた話が特にすきです。エピファニーというらしい、その「いきなりそれが現れてきた!」という感覚、それに導かれて小説家・村上春樹が誕生した。私はそういう「降りてきた!」話が大好きなので、興味深いのです。

村上さんは以前から「うなぎ」のたとえ話を使うので納得できるわけですが、その自分がぜんぶ考えてるんじゃなくて「うなぎ的なもの」にヒントを得るとか、作家になりたいなと欲望しているんじゃなくて作家になれるんだという自覚が先に来たとか、そういう感覚がどういうものか知りたくてしかたがないんです。
僕が長い歳月にわたっていちばん大事にしてきたのは(そして今でもいちばん大事にしているのは)「自分は何かしらの特別な力によって、小説を書くチャンスを与えられたのだ」という率直な認識です。

とおっしゃっているように、自分の頭じゃないどこかで何かが決まって、それに謙虚に従うというやつ。狭い頭の中で完結させるよりとっても自由そうなので、その不思議な感覚を覗いてみたいんだよなあ。いつかくるかな。うなぎ。

もう一つ興味深いのは「一回書き上げたらめちゃくちゃ推敲する」ことですよね!村上さんの文章には独特のリズムがあって、すーっと読んでいけるものなんだけど、そのリズムをつくるのにありったけの時間をかけているのがとても意外です。リズミカルなものを書き上げるときは衝動というかスピードを大事にした方がいいのかなと思っていたけど、何度も何度も考えられて、緻密に作り上げられたリズムだったんですね。
本でも書かれていたけど、たしかにその作業をこなすには相当な「胆力」が必要そうです。必要に違いない。だって一度書いたものを読み返すって、私にはぜんぜん楽しい作業だと思えないんだもん。テストの見直し、苦痛だったもん…!

その「しつこい推敲」を読んで思い浮かべたのは中村佑介さんのイラスト講座です。

中村佑介 みんなのイラスト教室
中村佑介
飛鳥新社
売り上げランキング: 82
twitterで絵を描く中高生から求められるアドバイスをおしみなく提供しちゃう中村さん。この方の絵も好きではないんですが、あまりにも的確なアドバイスと丁寧すぎる接し方が勉強になるので、本ももちろんゲットです。
で、彼がよくいうのが「手をかけているか?」ということ。
素人は描きたいものだけを描いて満足することが多く、ほとんどの場合人のバストアップっで背景は1色とかデジタル処理に頼るみたいなかんじなのですが
ジブリの背景などを例にだして、「描き込んでみるだけで驚くほど説得力がでる」というのです。
面白みがないと思っている背景を描けるようになるとそこに「世界」が生まれる。細かいところまで描いてみるほどもっともっと世界が深くなる。 すぐに満足しないで、そこまで来てご覧なさい、話はそれからだ。みたいな。

背景が1色塗りつぶしだろうと魅力的なプロのイラストレーターさんもたくさんいるけど、あのシンプルネスは洗練であって、考え抜かれた線なんですよね。決して「浅い」わけではない。

私は下書きを清書するといつも下書きの勢いあるときのほうが良かった…なんてことになるんですが、それは浅い・深い以前に技術の問題であるので道は長いんですが(笑)、かきなぐるよりじっくり腰を据えて描くことに挑戦していこうと思います。でもな~ 思い立って勢いそのままに夜中3時間くらいで絵を描きあげるの気持ちいいんだよな~ まずは衝動の先を目指すところからですね。

2015/11/04

華麗なる誤読

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)
森 博嗣
講談社 (2013-10-16)
売り上げランキング: 99,737

本の後ろにあるあらすじを読み、少し中身をパラパラして購入。森博嗣さんの作品のなかでもとりけ評価が高い作品だそうですね。「自分で問いをみつけ、気が済むまで挑戦し続ける」という本当の学問の楽しみを追求することの魅力が存分に描かれているから、理系に多い森博嗣ファンさんのよだれがたれるのも頷けます。疲れ果ててベッドに倒れた夜を何度も過ごしても、「こんな辛い思いはやめたい」と思いながら思考を続けても、次の日には「今日はあれができる!」と勢いよく研究室へ行くこのかんじ。楽しそう。勉強楽しそう。科学というものは「実験してみて、きちんと結果としてあらわれる」ことが目に見えるから、なんだろう「うだうだ悩むよりやってみればいいじゃないか」という雰囲気があまりにも当たり前すぎて、うだうだの段階で止まることが得意な私みたいな人間がマッハで置き去りにされるんですよね。

そんな素敵な本だけど、最初に思ったのは「本の後ろにあるあらすじと違う!!」でした。
講談社文庫のあらすじはこんなかんじ

文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、僕のその後の人生を大きく変えていく…(以下略)
これを読んだときに「おっ!勉強を諦めた人が真の面白さにようやく目覚めるのか…!」と思い込んで、今まで好きな分野であっても深く極めてみようと思うけど「やりたいことではあるけど、めんどい」 という気持ちが先行し不真面目を極めた私にぴったりなはず!!!!と鼻息荒くしたわけですが、主人公は文字がはやくよめないという特徴があるものの、好きな電波の分野の難しい本を、小学生で「考えて考え抜けばわかる」とあっさり読めてしまっていて。

それ以降好きな分野は自分で勝手に授業とは異なる学びをどんどん進めていて、あまつさえ興味のない文系の勉強もまじめにやり、ちょう苦手な英語で書かれた論文も当たり前のように読むという、えっ、それで勉強が嫌いとかいってるの?本気で言ってるの?っていう感じで、話にならないわけです。

それもそのはず私の期待が方向違いなだけで、主人公の橋場くんが嫌いな勉強とは、「教科書に書いてあることを教師が読むだけの、テストのための、答えがすでに用意されている勉強」のことなのです。もう答えがすでに決まっていて、それを導くためにするのは勉強ではなく「労働」ではないか、と橋場君が考えています。そう考えると、確かにそういう単純労働に楽しみを見いだすのは大変そう。

というわけでこの本は勉強が大嫌いな僕ではなくて「大学までの労働的な勉強に絶望してうんざりな僕」なのです。

そんな橋場君が卒論研究で出会った院生・中村さんに出会って学問の面白さに目覚めるのだけど、そこでも「喜嶋先生に影響うけまくったノリで書いてるわりに、卒論終わるまで喜嶋先生でてこないやん…?!」と2度目の肩すかし。
その中村さんとは喜嶋先生のお弟子さんなので、彼が語ること・指導してくれることはすべて喜嶋先生の言葉や態度だ、ということなんだろうけど、先生が出てくる前に出てきた中村さんがあまりにも的確な指導を橋場君に施すので、後から出てきた喜嶋先生のすごみが伝わりにくいっていうか…いや、中村さんの方がすごくない?っていう…いくら喜嶋語録を伝授してるだけだとしても、面倒見良すぎるし、言うことがどんぴしゃすぎるし、中村さんすごいんだもん。

こんなかんじでスタートダッシュでつまづきまくったので、単純に「素敵な空間…感動した…!」といえない誤読(というか勘違い)野郎なのですが、研究者の凄みがひしひしと伝わってきて、圧倒されました。自分の専門の文献は全部あたってその上で「まだ解明されていない問いを見つけることから研究が始まる」とか。「学問には王道しかない」という言葉。科学の前ではどんなに偉い人でもみんな平等で、論文がでるたびに審査があって公平にジャッジされるという世界。

自分で問いを見つけ答えを探し続けることの過酷さに心身を壊したり自殺してしまうひとが結構な割合でいることや、定員割れを防ぐためレベルを下げざるを得ない大学院の状況など、大学の裏事情も事細かく書かれていて、おもしろいです。
その中で出世を拒みストイックに研究を続ける喜嶋先生。感情をはさむことを嫌って、言葉が文字通りの意味で伝わるように直接的にしか言わないスタイルは、不器用に見えるけど、言葉にたいして誠実なだけであるという。夢に、やりたいことにひたすらひたむきな先生と、しがらみに囲まれて軌道修正をして行かざるを得ない世間との対比が印象的です。

最後はなんでああなるのか…?あれがミステリだとしたら、私はこの本を読み返さないといけないですね!というか、肩すかし部分の期待を全部はずしてクリーンな心でもっかい読もうと思いました。

そんなこの本で心に残ったところ
研究というものが、大学の四年生までのいわゆる「勉強」とどう違うのか、と言えば、一番大きいのは、教えてくれる人がいないこと、覚えなければならないことがないっこと、つまり、外の情報を頭に入れる作業ではない、という点だろう。[略]頭の中に入れる行為というのは、食事と同じで、自分に対するインプットだ。入ってくるものが多すぎたり、同じものばかりだと飽きてしまう。眠くなってしまう。これは、躰がそんなものはもういらないと拒否しているからだ。授業でも眠くなってしまうのは生理的なものだからしかたがない。

中学から大学まで寝まくった私にはとても優しい文章です…。食事と排泄のバランスと同じで、詰め込むだけでは無茶であるという考えですね。眠くなるのはしかたないんだ!(正当化)