2015/10/31

「いざとなったら、いつも寝てます」

なるほどの対話
なるほどの対話
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河合 隼雄 吉本 ばなな
日本放送出版協会
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どの世界の人々も河合隼雄さんを好きなので、ちょこちょこ読んでみようと思い立って。
こんな素敵なおじいさんいたら、確かにきかれてもないのにいろいろしゃべりすぎてしまいそう…ばななさんはあとがきで「河合さんに頼りすぎないようにしようとがんばってた」みたいにおっしゃってましたが、それめちゃくちゃ至難の業ですね。

生きづらさを抱える人々に寄り添い続けた臨床心理士・河合先生にかかれば、昔の、そして今の私が抱えている悩みなんか特に「異常ではない」のだなあと思ってホッとしているというか。

まず吉本ばななさんが高校の3年間、毎日眠くて眠くて仕方なかったというところ。
ばななさんは高校だけですんだけど私は中学から大学まで、授業中ひたすら眠くて起きているのが本当に難しくて、よく寝ていました。そう、それは先生の研究室で少人数で行われる講義でさえ無理でした。(一見)温和な米文学専門の先生は「もしかしたらそういう病気かもしれないですね」とにこにこおっしゃってました。ナルコレプシーってやつか。

でも河合先生によればナルコレプシーと誤診される思春期の子が多いんだとか。三年寝太郎の話を持ち出して「三年寝たあとで頑張ったやつがいるんだから、何にも心配することはない」と(笑)。
ばななさんが眠り続けた理由を「外界で起こっていることと内界で起こっていることが違いすぎて、拒絶するよりほかなかったのではないか」と。

私はどうだっただろう。生きづらいことだけにひたすら不満をならべて勉学!とかいってられなかった気がします。本を読むことに慣れておけばよかったんだけど、あの頃はネットでサイトつくって絵を描きまくることが何より大事でしたので……。
救ってくれる人をひたすら待ってただけだった気がします。ふふふ。

そしてその話の締めくくりで「何か考えるよりも眠った方が賢い」と先生が言います。仕事で行き詰まったら眠れとかね。もう包容力がありすぎて涙が……。あの頃はたくさん眠る必要があったんでしょうね!よく寝た!


もひとつ心に残ったのは先生にかかる人たちの幸せは社会復帰だろうか?ということ。やはり働いてない=社会に貢献できてないという思いが強いみたい。それを先生は「社会病」といってただの流行りだととらえている。
何も、社会の役に立たんでもええわけですよ。もっと傑作なのは、ただ外に出て働いているだけなのに社会に貢献していると思っている人がいる。貢献なんてしてないですよね、金儲けに行ってるだけでしょ。「そんなん、別に」と僕は思っています。社会へ出て行くとか、だいたい社会というものが、あるのか、ないのか。それから、なんで貢献せないかんのとか。全部、不明でしょ、ほんとのところは。

私も社会病に取り憑かれた身だなと。今はお金が神様みたいだから、お金がないと自己実現ができないのでは、というのが当たり前だけど、それも流行りでしかないのかも…と固まった思考をすこし溶かしてくれるような言葉だなあと思います。優しいこと…

さいごに、河合先生が「自分で患者を治そう」とか「ああしてあげたら」とかいろいろ考えてしまうと、「自分が病気になるのではないか」と思うくらいぼろぼろになってしまうというお話が興味深かったです。だけど自分で治そう、という力みが抜けたらいいあんばいになる、という。そして遠藤周作に体調を気遣われていた河合先生(笑)。その加減、私も会得したいなーと思っています。個人の力でどうこうするんじゃなくて、ただの触媒みたいになるというか。

つくづく、人生ってちょっとの塩加減、みたいなものでおおきく変わるもんなんだなと思いました。
 

2015/10/27

どくどくしょ

残像に口紅を (中公文庫)
残像に口紅を (中公文庫)
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筒井 康隆
中央公論社
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世界から一文字ずつ消えていったらどうなるのか…?を最後の文字が残るまでやり尽くして見せた実験小説。筒井康隆のベッドシーンなんてはじめて読んだわ…と思ったらやっぱり珍しかったみたいです。筒井作品ぜんぜんよんでないんだけど。

主人公の小説家・佐治と評論家であり友人の津田が「時間がたつにつれて使える文字が減っていく虚構」のルール作りをして、その虚構を本人たちが生きてみるという形で物語がはじまります。
消えた文字を含む単語なり名称なりがきえてゆくということは、人間も同じということで、最初は消えた文字・言葉よりも消えていく人を失ったあとのむなしさが強い。タイトルは家族で一番最初に消えた娘の存在をぼんやりと思い浮かべたときのせりふから。にくい…このタイトルうますぎる…!

文字が残っているうちは失ったものへの悲しみだとかそういう情緒を語ることができるんだけど、どんどん表現が制限されていくとただひたすらしていることや目にうつるものの描写、擬音が続いていく。特にどんどん言葉を削っていくラストスパートの第三章はとりあえず言葉を連ねるみたいなかんじで、つながりがなかったり機械的すぎたりして読むのがしんどいのだけど、それはつまり言葉がなくなりすぎると、なくなったものたちのことを思ってあげるだけの表現が残ってなくて、すなわちそういう感情もでてこないという。
終盤のほうで「津田」に含まれる字がきえて、もちろん津田はそれ以降完全に姿を消すんだけども、「え、重要人物なのにあいつ消えたなーとかないのか…」と思ってしまった(笑) 消えた片方を思い出してあげるために使わなければいけない言葉も一緒に消えてしまうと、感覚として「なんかもやもやする」みたいなのがかすかにあったとしても、小説に出すことはできないんだなあと。

今ふつうに考えたり悩んだり思ったりしているのって、言葉がまずあるからなのかなあと思いました。しかしどんどん文字は消えていくのにスラスラと変わらず書き続けられる力量すごかった…終盤でいきなり主人公の自伝をはじめてしまうのも。余談だけど主人公の自伝かわいそうだった…何をしても親に「はん」と鼻であしらわれて終わりの少年時代……人のやる気をくじく態度をとるのは本当に簡単だから注意してしないように努力しようと思いました!

あと津田、人のセックスを笑うな!(笑)

花のベッドでひるねして
花のベッドでひるねして
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よしもと ばなな
毎日新聞社
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よしもとばななさんが一番好きとおっしゃる小説。海辺に捨てられていたところを拾われた過去をもちながらも、あったかい家族に囲まれてまっすぐすぎるほど育つ主人公。始終「ああ…私しあわせ…」と言ってばかりで、事件らしい事件もとくに刺激的というわけじゃなくて、ほのぼのしたまま終わる。
さっと読めばそういうものなんだけど、おじいちゃんが「引き寄せの法則」のような力を持っていて、おうちがスピリチュアル名所のイギリス・グラストンベリーのB&B(宿泊施設)と提携をしていることなど、舞台の小さな村では「異様な家」として浮いていて。幸せな主人公は、別の視点でみると「変な子」「捨て子」のようなマイナスな印象を持たれていることがぼかされて書かれています。

とてもよい家庭にもらわれたとはいえ、捨て子という時点ですでに卑屈になる理由はそろっているし、その良い家族だって内輪でよくとも、外から見られると「おかしい」わけです。でもそういうところに目を向けず、与えられたものにありがたみをかんじていること。
おじいちゃんが「いつもちがうことをしないようにしておくことが大事」といっていたけど、その「ちがわないこと」がそうなのかなあーと。

おじいちゃんのせりふはスピリチュアル満載でも、とてもよかったです。


2015/10/19

ビバ!私はメキシコの転校生 「幸福」をおしえてくれた自由学校 - 山崎まどか

映画・海外ドラマ・ファッション・文学・音楽などアメリカのヤングカルチャーを中心にいろんなジャンルのセンスのいいものを紹介してくれるライターさん。ミスiDの審査員もなさってます。
私的には「師匠の師匠」みたいなかんじのひとでして、図書館で検索してみたら幻のデビュー作がおいてあったので借りて読んでみたのです。
まどかさんが小学校低学年のときに移住したメキシコでの学校生活と日本に帰ってきてからの生活を書いたもの。書いたのはなんと15歳のときです。

メキシコというと先住民族の文化のイメージがつよく、モダンなおしゃれとは結びつきにくいかんじがします。でもまどかさんは幼いながらもメキシコの国旗の色鮮やかさや、「ピニャタ」というクリスマスのときにつくるおかしをつめた紙の工作へのこだわり、そして終業式のダンスパーティーで踊った際に着た民族衣装の細かい描写など、「きれいなもの」「センスのよいもの」を見極める力が養われていました。

さらにまどかさんが通っていたトラウィカ学園は、普通の学校ではなくて少人数制の自由学校。何よりもまずさきに毎日おやつをかばんに入れて持って行くという描写があって笑ったのですが、カリキュラムがなくって自分の好きな勉強を好きなだけやったり、遊びを通して生きることを覚えていくスタイルで、とにかく楽しくてしかたない!という気持ちが伝わりました。
残念ながら学校は財政難で閉鎖したようなのですが…そうよね…難しいのよねえ。
その中でこどもたちは<提案する> <批判する> <ほめる>を主に学んでいきます。どれも日本の教室で素直にやろうとすると難しいものばかり。とくに<批判する>は目的がうまく達成されずに悪口合戦になろうとします。
でもまどかさんは
<批判する>ということは、いじわるをいうことではけしてなくて、相手と自分がちがうと思うことをはっきり述べることです。だからそれは、自分とほかの人のあいだにあるちがいをかんがえながら、前以上によく理解しあい、なかよくなれるということです。信じあう心がとてもつよくなります。
と正しいやりかたできちんと学んでいる。私はまだこれが怖いです。目的はそうであるとわかっていても考え方に異論をとなえられると自分自身に異論があるのかと思ってしまって萎縮しちゃう。ほんとうの<批判>をとおしてわかり合えた、という成功体験を実感していないからでしょうなあ。

そこから2年ほどたってまどかさんは日本に帰国するのですが、帰国子女が学校になじめないというのはよくある話で、まどかさんもトラウィカ学園流ですごそうとしてさっそく違和感だらけになります。
学級の<反省会>という話し合いでも<批判>というより<他人の悪口のいいあい>になるという、おきまりのパターンからはじまります。メキシコにいたときのノリで発言しようものなら「ふざけている」といわれ、今まで持っていた価値観と真逆の環境で窮屈になっていく様子が…こういうの読むたび辛いです
同級生からのいじめはおろか上級生からリンチを受ける始末。
それでもまどかさんは彼女らを憎むことはせずに、「みんな抑圧された社会で悲鳴をあげている」のだと主張します。自分が受けた痛みだけに気をとられずに、相手の中にある気持ちをくみとろうとしているまどかさんの様子がとてもとてもまっすぐで強くて、すごいなあと思いました。
そうやって普通の子供より何倍も濃い毎日を過ごしてきたことをしって、今ご自分の好きなことについて書きまくれているまどかさんがいてよかったなと。

そして、私自身学校があんまり楽しめなかったので、あの場がもっと過ごしやすくなれるようになればなあと強く思います。ふぅ。