2015/07/25

なこしせんせーい!

4月に名越康文先生の本にであった時はこれで明るくなれそうだなあと思ったけれど
時がたつにつれてだんだんと「こまかい怒りを払う」ことがおろそかになり、
気づいたらいつもはまっている、「一回駄目なことあったらその日はずっと駄目なムード」のパターンに逆戻りしてしまいました。

こんなときはもう一回先生の本を読み返す…のではなくて、先生の別の本を買うのが特効薬なので、ジュンク堂とかの通販サイトhontoのクーポンやポイントを駆使し、「心がフッと軽くなる瞬間の心理学」「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」を1冊は無料で、もう1冊は117円ほどで購入。
これらの本は先に読んだ著作とだいたい言いたいことは変わらないだろうな…と思っていたので軽く読むつもりでゲットしたんですね。

でも結論から言うと今まで読んだどの名越先生の本よりめちゃくちゃ重要な二冊でした。がーん。選ぶセンスぜんぜん磨かれてない!さらにいうとこの2冊を読んでるときにランチにいったんですけど、人混みが嫌だったので静かなカフェにいったら、メインはおいしくないし食べ放題のサラダでドレッシングも外れを選ぶし、おまけに唯一いけると思ったスープをおかわりしようと思ったら残ってなかった…とさんざんな結果だったので、店を選ぶセンス(感覚)を養っていきたいです。

今回の2冊だって、こんなに素敵だと知っていたらクーポンを使わず定価でしっかりゲットしていたはずです。ごめんなさい。お詫びに本から吸い取れるだけ吸い取ります。


というわけで、「自分で自分の気持ちを立て直し楽しく生きていく方法」をもういちど学びました。

2冊に通じるもっとも重要なポイントは

  • 集中力を鍛える。言い換えればエネルギーを必要なところにのみ注ぐ。
  • 朝に心を整えておく。
  • 何をするにも「自発性」が刺激されるようなやり方を考える
  • 仏教たのしい
というところかな。

様々な本で繰り返し注意しているのが「妄想の力」で、人は実際にあった嫌なことに妄想をつけくわえて、不快感を何倍にもふくらませている、ということなんですけれど
なんど読んでも自分が一番自分を傷つけているという事実はとても恐ろしいしそれを考えるだけで無力感におそわれます。独り相撲というやつですよね。

名越先生によれば「人は空想に殺される」と。とても大事なお言葉です。誰かに対して、自分のおかれている状況に対してふつふつと怒りがこみあげてくるとき、怒っている対象は自分の頭の中でつくりあげたものだということを、日々思い出さないといけないのです。そうでないと自滅してしまう。
調子のよいときは自覚できた瞬間に「いけない」と思い直して、どうにか軌道修正できますが、こまめにチェックしておくことを怠ると、小さい怒りがつみかさなって、自覚→軌道修正に使うエネルギーが大きくなってしまう。それがおっくうになって、怒ったまま一日を、あるいは何日間かを過ごしてしまう。そこをいかに気付いた瞬間に止められるかというのが目下の課題です。
怒ったまま過ごす日々は、「何やったってどうせなおんないし」とすべてが投げやりになってしまって、いわゆる悪循環にはまってしまうのです。
悪循環にはまっているときはそれじたいが自分がつくったループだということに気付かない。自分で自分を閉じ込めているんですよね。

離岸流といって、強い潮の流れが沖に向かっている一帯というのが海にあります。
その流れに飲み込まれてしまうと、抵抗して岸に向かっても流れに勝てないのですが
その流れは横幅でいうと大きくても30mだということで、つまりは横にそれるように泳ぐと潮の流れからうまく脱出できるらしいのです。

自分の空想から生まれる怒りにとらわれ、悪循環にはまってしまった人というのも、離岸流に飲まれ、岸にむかって必死に泳いでいるひとのようなのかもしれません。
大切なのは、流れが弱い場所がすぐ隣にあるということを知っておくこと。

名越先生は怒っている状態を「アクセルとブレーキを一緒に踏み込んでいる状態」とたとえます。ブレーキ(怒り)を踏んでいることにきづいて足をはずせばうまくすすんでゆくだけなのに、それに気づかないで「動かないんだけど?」とまた新たな怒りを呼ぶ。
車は動いていないのに、エンジンはヒートアップするばかりで、結果的に車(自分自身)を傷つけている、という。ああ、まさに!すごいたとえです。

このたとえは、怒りを消す実践においても役立つのではないかと思います。
「あーいま怒ってる、さっさとこの感情を消さなくては」と思うとなかなか分かっちゃいるけど消しにくい怒りも、「あ、いまブレーキ踏んでる、外さなきゃ」というイメージにかえることによって、ブレーキをゆるめるイメージのまんま、怒りの感情を手放せるような気がします。
なんて便利!

と、このように百害あって一利なしの怒りの感情にかんたんに流されないように
名越先生は「今、ここ」に集中することの大切さを繰り返しといています。怒りに対抗するすべとして、集中力をしっかり鍛えるのがなにより大事だと。というか、これしかないのだと。
集中するということは、すなわち心を整えることになります。あちこちの感情に目を向けずに、ひとつのところにしっかりと落ち着くということ。今やっていることを丁寧に集中しながらやる、それがもたらす効果がすごいんだそうです。

ながら作業ではなくて全力でやるべきことにとりくんでみると、今まで見えてこなかった面白さがわかったり、工夫してみたくなることをみつけたりして、本来もっている自発性が刺激されるんだとか。自発的に取り組む、というのは人間の本質で、それが刺激されれば、疲れにくいし、ポジティブな気力がどんどんわいてくるので、ポジティブな状態が続くようになる――まさに悪循環とは真逆の、好循環がうまれるわけです。

そのように名越先生に説明してもらってはじめて、今まで暗い状態がデフォルトで、なかなか明るくなりきれない、ひねくれ者の私もいろいろ腑に落ちることができました。
デフォルトだと思っていた「暗い性格」も「ひねくれ者」もただブレーキをめいっぱい踏んでいただけなのだなあと。
そうやってすとんと降りてきたおかげで、これから本格的に気を付けて明るく過ごせるかもしれないなあと思えています。よかった…本当に良かったです

んで、毎日怒りにとらわれないよう自分をこまめにメンテナンスしていく方法として
名越先生は「朝をだいじにする」ことと「仏教の有用性」をとなえています。

なんで死ぬのに生きてるの?という本のタイトルに明確な言葉でこたえているわけではないのですが、そもそも最初でその答えは「言葉をこえた実感でしかつかむことができない」とも言っていますし、あとアマゾンレビューで、「そもそも『どうせ死ぬのになんで生きるのか』と問うときっていやなことがあってモヤモヤしてるときだけなので、ポジティブになることによってその問い自体を超越していこうといってるのでは?」というのがあって
すごくうなずいてしまいました。本を読んでるあいだに問いへの執着を忘れてしまっているというか。

ガッチガチの仏教徒になるんじゃなくて、自分を助ける手段としての仏教、いいなあと思います。毎日のちょっとした癒しとして宗教を活用すること。とてもさわやかな気持ちでやってみたいなあって強く思っています。

またまとまってないけど、書きたかったので書き殴り逃げ。

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