2013/02/20

文章B

昨日自分がわかったことがなんだったかというのが今さっきわかった(正確には『言葉にすることができた』)
ものごとを理解できるのはそれがおこった後になってからということ
それを理解すべきなのはものごとがおこっている最中であるにもかかわらず、です。

現在おこっていることについて完璧に理解したい、と思うのは当たり前のことなんだろうけど、たぶんそれができている状態というのはありえないのではないか?
あるとしたらそれは同時進行で理解しているのではなく、高確率で的中する未来予測なのかもしれない。
そういうふうにおきなおしてみたら、なんかがんばれば習得出来そうな気がしてきた。要チェックや。

ものごとを理解することがものごとに必ず遅れてやってくるのにはどういうメリットがあるんだろう。それが可能になればあらゆるミスが軽減されるのに。

これまた職場の話になるのだけど(こんなにいろいろ考えさせるんだから、このきつくて自分に明らかに向いてない仕事を紹介してくれたあの子にはもっともっと感謝しなくてはいけない)、前任者がのこしてくれた申し送り事項を読み込んで本番にそなえようとしていた、去年の11月時点の私の試みは、完全な失敗に終わっている。「この仕事きついぞー、こういうところ見落とすぞ~」と丁寧に残されていた警告たちは、大多数が必要なときに把握できていなくて、あとから「ああこういうことだったのか」「ここにかいていたはずなのに」とあとからむなしく確認されるだけだ。
自分でも1月にその子にむかっていったのだ。「この仕事がどういう内容であるか分かるのは、たぶんすべてが終わってからなんだろうね?」と。

おそらく、この問題を解決するのは想像力しかないんだろうなあと思う。体験しないとわからないことをなるべく前もって感知するためのシミュレーション。そしてその想像力を助ける材料は過去の体験になる。過去におきたことから未来を予測して、現在を理解する。こんな感じかな。
こういうことを考えると「現在」という概念の曖昧さに驚く。言語に現在形なんか必要ないのでは?と思うほど(笑)。過去形と未来形だけでやっていけそう。

現在を同時進行で理解することができない、という考えは年下の子をみていてもおもう。私が何年か前に経験したイベントを今まさに経験している人は、いますごく苦しそうである。そして私はその人の様子を見ながら、あああのイベントはこういうものであったと理解する。今ならその苦しみの原因をつきとめて解消することだってできそうなのに、それが必要な時期は何年も前に過ぎ去ってしまっている。こういうことは人から聞くだけでは自分の理解として体にしみこむことはない。結局自力で編み出すしかなくて、そしてその作業は経験そのものから必ず遅れてしまうのだ。だから先に経験したアドバンテージをつかって力になりたいと思っても、その思いが根本的な解決につながることはない。と思う(弱気)。

いつだったか岡田斗司夫さんが「悩みのるつぼ」で、クラス内のポジショニングに苦労している中学生の悩みにこたえたときがあった。そのとき岡田さんは

あなたの悩みは残念ながら誰にも解決できません。でも誰かの悩みを聞いてあげると、少しだけ軽くなりますよ。僕もいま、中学時代のことが少しだけ軽くなりました。ありがとう。
と締めくくったのだけど、これも同じ事だろうなあと思う。歴史が繰り返すのは歴史が繰り返されたことに気づくのが、それが繰り返されたあとだからなのだ。
経験と同時に理解を得るのが不可能でも、そのシステムを知っておくことが大事だと思う。経験している最中は全体を俯瞰することができないだろうけど、「あとで今おこってることが綺麗に整理されて分かるんだろうなあ」って考えるだけで、少しゆとりが持てる気がする。今分かりたいことなのに今分かることができないとしても、いつかは分かる日がくる。酷い話だけど(笑)。

だから私が過去に経験した苦しみを今まさに感じている人には「想像して!」って叫ぶしかできることはないんだろう。

こういう思考のプロセスをもっと前にしていた誰かが、私をみて「わかるわかる、私もそうだった」って思ってくれて、なんとなく心が軽くなってくれたりしたら楽しいなあ。


という謎の連日の考え事でした。

文章A

2月は仕事でメインイベントがあり、2月16日だったのだけれど、それの準備やらなにやらで1月下旬から吐きそうな日々が続いていた。忙しい、というよりは精神的に辛い、のほうがしっくりくる。根っからの怠け者なので、人のために動き回って準備する、という職場での業務内容はほとんど苦行にちかい。

でも忙しいつかれた死ぬと弱音ばかりはいているわりには、今月もけっこう絵を描いている。kpopイベントのフライヤー絵と「野球大好き」の表紙絵はもちろん、けぽぷのfanartなら4枚は描いている。なかには次の日しんどい用事があると分かっていて、「寝たら明日になってしまう」と怯えながら描いたものも。ストレスがたまってたまってどうしようもないときは、1枚描き上げないと気が済まない。たぶん仕事のことでどうなるかわからなくて怯えると、自信がなくなるので絵を描くことで自分の特技を再確認しているのだと思う。なにかひとつのことで自信がなくなると自分を全否定したくなる衝動にかられるので、絵が描けて本当によかったなあと思う。

ところでけぽぷ専用のtwitterではおもに英語圏のアカウントばかりをフォローしているのだけど、知り合った子が最近男の子とつきあいだして、毎日そのことについて詳細に報告してくれる。内容はなかなかあけっぴろげで、「課題しなきゃいけないけど彼とするのに忙しくてできないー」なんてことも普通にいったりするので、どうしたものかと思ったりするんだけど。

たぶん、私以外のひとはこんなふうにもっと他にやることがあるんだろうなあと思う。絵を描くのが楽しいからって他のことが楽しくないわけじゃない。もっと他にも体験したいことがいっぱいあって、スケジュールは均等にそれらのための時間を確保しており、バランス良く生きているのだろう。三角食べみたいな。そういえば私は三角食べができない。

大学での友達が卒業間近になったとき私にむかって「前とくらべるとずいぶん丸くなったよね」といってくれたのを思い出す。その頃よりもさらにどんどん丸くなっているとも実感する。まだまだ人並み以上の頑固・自己中は健在なので、自尊心には毎日邪魔されまくっているんだけど。
それでも最近は少し時間をおけばものごとを整理しなおして、自分が反省すべき点をちゃんと確認できるようになっている。過ちをおかしたときや恥ずかしいことをしてしまった時点では、それを認めたくなくてあれこれ言い訳をならべるのはまだなおらないけど、いったん落ち着いてしまえばもう大丈夫。これが瞬間的にできるようになったらそうとうまん丸なんだけどね。

すぐに省みられない理由は「理想の自分」像を保持しつづけているからだと思う。こんな簡単なことができない自分、仕事でつかいものにならない自分は理想像のなかにはもちろん含まれているはずがない。ので、自分がいまだ「そういうレベルの人間」であると分かったときは認めたくないのです。
そして醜い言い訳ばかりをならべているときはとても気持ちが良くない。間違ってるとわかってるから。瞬時に認められるようになるには、たぶん修行が足りないというよりは、ものごとの見方が少し間違ってるのだと思う。視点をかえたら出来るようになるんだろうな。

なのでありのままの自分をみとめる時間は言い訳の場面とは正反対にひじょうに気持ちがよい。先に頑固な自分を発散させてあるので、あとは素直になるだけだから。人に指摘された間違いもここで自分のペースでゆっくりとかみ砕き、反省の材料にする。カチンときたことはだいたい正しいので、ここではたいへん重宝される。

自分にはできないことがあると認めるのは最初のうちは苦々しくても最終的にはけっこう楽しめることもようやく分かってきた。「認める」というのはそれくらい大事なことなんだなあ。

そのほかにも自分が好きなモノ、どうしても譲れないものなんかを認めていく作業はなかなかに楽しい。
その事実の善し悪しはまた別の問題で、いったん「そういうことなのか」と確認すること。
このところは仕事でも普段のふるまいでも反省することが多々あるので、反省はしっかりするようにしている。それらのすべてが最初はとっても苦しくて、セルフ見積もりよりはるかに出来の悪いありのままの自分から逃げ出したくなるけれど、いったん認めてしまえばあとは妙な楽しさが待っていることがだんだん体得できつつあるので、私がもっともっと丸くなるのはすぐそこなのではないか。

なんの話をしているのかわからないのは私も一緒です。

とにかく。見栄っ張りのひとだって一人でいるときは素直です。

そんなもんです。


2013/02/11

靴の特訓

満足に靴を描けたことがなかったので3連休をつかって特訓してみました。


↑はこっちをひたすらまるうつし(ありがとうございます)

コンバースのややこしさは異常


まんなかのかわいい靴は、デパートで一目惚れしたけど高くて買えなかったものです。
絵描きは描けるだけマシだよね!!!

まだまだ練習が必要だけど、感覚はつかめてきました。
あ、ipad miniで描きました!!したがきは鉛筆でやって、それをカメラで取り込んでレイアウトして、アプリで描くのです。最高に楽しいです。
めざせ靴のスペシャリスト!

ろすたむくん!

vampire weekendのライブデビューがもう先週のことだなんて
かわいいうたって、ほんとにいいなーってしみじみおもいました。
とくにCDの順番通りにcape cod→M79やったときはかわいすぎて萌え死しそうでした。
彼らが、じゃなくて曲が。
twee grrrls clubが出したディスクガイド「INDIE POP LESSON」では山崎まどかさんが彼らについて『知的で遊び心があって気取りがなくて、理想のボーイフレンドって感じだ。』てかいてあって、何度も頷いてしまいました。彼らというより曲にたいして思ったことなんですが。ああいう曲とつきあいたいです!!なにそれ!!

ベースのクリスバイオはもっと面白い動き、そうたとえば「ふしぎなおどり」なんかを身につければ、人気がでるのになあ。好きだよ。

と、そんなときにstereogumにてkishi bashiさんがbeirutのa sunday smileをカバーしてることを知り聴いたんですが




(カバーというよりコピー?って思うくらい素直にうたわれると、やっぱ良い曲だなあって思うだけですねw いや素敵だけどね?)

関連リンクのところにもっと面白いものをみつけてしまいまして




去年の12月に公開したロスタムくんのマッシュアップだそうです。知らなかった!そしてマッシュアップじたいは2年前くらいにつくってあったそうな。
beirutのscenic worldベースにkaty perryの歌がのっかり、いたるところにロスタムくんらしいアレンジがあってなんて幸せなマッシュアップなんでしょう。お絵かきしながらリピートで聴いてたら簡単にうきうきすることができました。

さらにたどるとマッシュアプもういっこありました




必ずメインストリームを混ぜるのが憎いですね
ロスタムくんのマッシュアップはどれもダウンロードできるのでぜひ(o´∀`o)
ロスタムくんはいつも、アイデアがポジティブなものであるのが好きなのです。
なにか楽しいものつくろう、って感じがいいのです。

こんなにvampire weekendのことかんがえたのは、卒論で死んでたころにcontraが発売されたとき以来です。何もやってなさすぎで自爆していたので、すがるように聴いていたのを思い出します。
あれ以来何も出してないということですね…今度5月にアルバムでるので、楽しみ。
またすがって聴くような状況になってないといいけど(笑)