2013/02/20

文章A

2月は仕事でメインイベントがあり、2月16日だったのだけれど、それの準備やらなにやらで1月下旬から吐きそうな日々が続いていた。忙しい、というよりは精神的に辛い、のほうがしっくりくる。根っからの怠け者なので、人のために動き回って準備する、という職場での業務内容はほとんど苦行にちかい。

でも忙しいつかれた死ぬと弱音ばかりはいているわりには、今月もけっこう絵を描いている。kpopイベントのフライヤー絵と「野球大好き」の表紙絵はもちろん、けぽぷのfanartなら4枚は描いている。なかには次の日しんどい用事があると分かっていて、「寝たら明日になってしまう」と怯えながら描いたものも。ストレスがたまってたまってどうしようもないときは、1枚描き上げないと気が済まない。たぶん仕事のことでどうなるかわからなくて怯えると、自信がなくなるので絵を描くことで自分の特技を再確認しているのだと思う。なにかひとつのことで自信がなくなると自分を全否定したくなる衝動にかられるので、絵が描けて本当によかったなあと思う。

ところでけぽぷ専用のtwitterではおもに英語圏のアカウントばかりをフォローしているのだけど、知り合った子が最近男の子とつきあいだして、毎日そのことについて詳細に報告してくれる。内容はなかなかあけっぴろげで、「課題しなきゃいけないけど彼とするのに忙しくてできないー」なんてことも普通にいったりするので、どうしたものかと思ったりするんだけど。

たぶん、私以外のひとはこんなふうにもっと他にやることがあるんだろうなあと思う。絵を描くのが楽しいからって他のことが楽しくないわけじゃない。もっと他にも体験したいことがいっぱいあって、スケジュールは均等にそれらのための時間を確保しており、バランス良く生きているのだろう。三角食べみたいな。そういえば私は三角食べができない。

大学での友達が卒業間近になったとき私にむかって「前とくらべるとずいぶん丸くなったよね」といってくれたのを思い出す。その頃よりもさらにどんどん丸くなっているとも実感する。まだまだ人並み以上の頑固・自己中は健在なので、自尊心には毎日邪魔されまくっているんだけど。
それでも最近は少し時間をおけばものごとを整理しなおして、自分が反省すべき点をちゃんと確認できるようになっている。過ちをおかしたときや恥ずかしいことをしてしまった時点では、それを認めたくなくてあれこれ言い訳をならべるのはまだなおらないけど、いったん落ち着いてしまえばもう大丈夫。これが瞬間的にできるようになったらそうとうまん丸なんだけどね。

すぐに省みられない理由は「理想の自分」像を保持しつづけているからだと思う。こんな簡単なことができない自分、仕事でつかいものにならない自分は理想像のなかにはもちろん含まれているはずがない。ので、自分がいまだ「そういうレベルの人間」であると分かったときは認めたくないのです。
そして醜い言い訳ばかりをならべているときはとても気持ちが良くない。間違ってるとわかってるから。瞬時に認められるようになるには、たぶん修行が足りないというよりは、ものごとの見方が少し間違ってるのだと思う。視点をかえたら出来るようになるんだろうな。

なのでありのままの自分をみとめる時間は言い訳の場面とは正反対にひじょうに気持ちがよい。先に頑固な自分を発散させてあるので、あとは素直になるだけだから。人に指摘された間違いもここで自分のペースでゆっくりとかみ砕き、反省の材料にする。カチンときたことはだいたい正しいので、ここではたいへん重宝される。

自分にはできないことがあると認めるのは最初のうちは苦々しくても最終的にはけっこう楽しめることもようやく分かってきた。「認める」というのはそれくらい大事なことなんだなあ。

そのほかにも自分が好きなモノ、どうしても譲れないものなんかを認めていく作業はなかなかに楽しい。
その事実の善し悪しはまた別の問題で、いったん「そういうことなのか」と確認すること。
このところは仕事でも普段のふるまいでも反省することが多々あるので、反省はしっかりするようにしている。それらのすべてが最初はとっても苦しくて、セルフ見積もりよりはるかに出来の悪いありのままの自分から逃げ出したくなるけれど、いったん認めてしまえばあとは妙な楽しさが待っていることがだんだん体得できつつあるので、私がもっともっと丸くなるのはすぐそこなのではないか。

なんの話をしているのかわからないのは私も一緒です。

とにかく。見栄っ張りのひとだって一人でいるときは素直です。

そんなもんです。


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