2011/01/13

人生演劇だらけ

「シェイクスピアを盗め!」ゲアリー・ブラックウッド/安達まみ(訳)

舞台は西暦1578年のイギリス。孤児院で生まれ育ったウィッジが、速記術をつかってシェイクスピアの最新作品、「ハムレット」を書き取ってくるよう命令される。1回目ではうまくいかず、2回目には書いたメモをなくしてしまう。怒った見張り役のフォルコナーに「ならば台本を盗め」といわれてしまい……というお話。

アメリカのヤングアダルトというジャンルですね。孤児院で生まれ、養子にもらわれても自分の意見を言う権利すら与えられない生活を過ごしてきた主人公に染みついた諦観が切ないです。悲観的ではなく無邪気にそういうものだと思っていて。
何にも期待してない分失うものもない。こういう諦観は私の中にもしっかり流れてるので通じるものがありました。

そんな背景を持つから、シェイクスピアの劇団にもぐりこんだときに友達とうまくつきあうことができなかったり、女の子であることを隠して劇をやりつづけるジュリアン(本当の名前はジュリア)にびっくりしたりと、自分の生き方以外の道に初めて触れるウィッジの変化が良かったです。
次第に自分でも芝居が楽しいと思えるようになってきて。
それでも本当は他の主人に雇われていて、自分は劇団のみんなを裏切らなければいけないという事実が重くのしかかっているわけです。

隠し事をしていたり、心配事があったりするといつもあんまり楽しくないんですよね。
ウィッジもいちばんの友達サンダーにがすぐそばにいるのに、何も喋れないという不自由さに苦しみます。
そのウィッジも、女の子であることを隠しているジュリアの苦しみには気づいてないというのも皮肉ですよね。しかもウィッジは、ジュリアの正体を知ったあとちょっとよそよそしくなるという。自分もそう見られているかも知れない、と思わずに。ジュリアはウィッジの鏡みたいな存在だと思います。

その二人が最終的に重荷をおろして、新たな道にまっとうに進んでいくラストは良かったです。
ヤングアダルトのすてきなところかも。

ああそうか、この作品にはたくさんの芝居がでてくるんだな。
シェイクスピアの書く演劇もそうだけど、ウィッジやジュリアだってそうだし、ウィッジに命令を下した主人サイモン・バスもそう。
ジュリアが「みんな、ほかのひとの期待にこたえて、役を演じわけているのさ(174)」といっていたとおり、私だって状況にあわせて立場が違うから、演じていることになるのだろうし。
だから演劇って昔から親しまれてたんでしょうかね。

お気に入りのセリフは、終盤で怖い怖いフォルコナーと劇団のアーミンさんが、台本をめぐって剣を交えるシーンでウィッジが言った「お願いだから!喧嘩する価値なんてないってば!(207)」です。
フォルコナーとアーミンさんの因縁をウィッジが知らなかっただけかもしれないけど、フォルコナーをたおさないかぎり、ウィッジだって自由にはなれないのに。台本だってまた盗みにくるし。
ドライでもあるし、物より命を大切にしているようでもあるし、面白い一言だと思います。そしてこんなこと言える主人公ってなかなかいないよね。

後書きで知ったんですが、作品中に出てくる宮内大臣一座は、実際にシェイクスピアがいた劇団らしいですね。でてくる人物も実在していたらしい。演じることについて書くためには、演劇の神様を題材にするべきだって思ったんだろうな。面白い試み!

というわけでおもしろかったよ

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